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2016年12月25日日曜日

12月25日は昭和改元の日、(旧)大正天皇祭、クリスマス、スケートの日、終い天神、北九州市デパート受難の日、等の日です。

12月25日は昭和改元の日、(旧)大正天皇祭、クリスマス、スケートの日、終い天神、北九州市デパート受難の日、等の日です。

●『昭和改元の日』 :  1926(大正15・昭和元)年のこの日(旧暦12月1日、新月)は、大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が昭和天皇として「践祚(即位式)」した日です。 そして、元号が「大正」から「昭和」へ改められました。 ※元号を巡ってのエピソード: 「東京日日新聞(現、毎日新聞)」は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていた為、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じて仕舞いました。 しかし、政府が元号を「昭和」と発表した為、この「大特ダネ」は「大誤報」となり、編輯主幹の木戸元亮は責任をとって辞任しました。 「光文」は新元号の候補の中の一つとして浮上していましたが、政府内では既に「昭和」に決定していました。 しかし、東京日日新聞の誤報により、「元々元号は『光文』と決定していたものが、新聞で先に報道されて仕舞った為に急遽『昭和』に変更した」という噂が立ちました。

●『(旧)大正天皇祭』 : 1926(昭和元)年~1947(昭和22)年まで、実施されていた祝日です。
●『クリスマス』 :  「イエス・キリスト」の「降誕記念日(キリスト降誕祭)」を祝う日です。 現在では、宗教を越えた年末の国民行事となっています。 キリストの降誕の日とされる。紀元400年頃から行われるようになったといわれ、クリスマスツリーを囲み、プレゼントの交換などをして喜びを分かち合う。 日本には宣教師フロイスによって1565年(永禄8年)頃、京都に伝えられたという。

※聖書等には、キリストの誕生日についての記述は無く、キリストがこの日に生まれたという確証はありません。 西暦336年にキリストの降誕の日と決定され、ローマの冬至を祝う「太陽の祝日」と結び付けられたものと言われています。 "Xmas"とも書かれますが、"X"は「キリスト」を表わすギリシャ語の頭文字です。 日本では1874(明治7)年に、最初のクリスマスパーティーが開かれました。

※『クリスマス(欧州の例)』 : デンマークでは「Juledag1」、ノルウェーでは「ユール第1日(Første Juledag)」、スウェーデンでは「Juldagen」、フィンランドでは「Noël」および「Joulupäivä」、ポーランドでは「Pierwszy dzień Bożego Narodzenia」、ルーマニアでは「Craciun」、チェコでは「svátek vánoční」、ハンガリーでは「Karácsonyi」もしくは「Karácsony」、フランスでは「Weihnachten」、ドイツでは「Weihnachtsfeiertage」もしくは「Weihnachtsfeiertag」と言い、クリスマスは12月24日の晩の「クリスマスイヴ」から始まり2・3日間、祝日になる国があります。 キリスト教の国々ではクリスマスは家族で過ごす日とされていますが、実は中世までは、欧州でもクリスマスは馬鹿騒ぎするイベントとして根付いていました。 しかし、キリスト教の世俗化を嘆いていた宗教改革者達の啓蒙運動により、長い年月を経てではありますが、見直される様になったものです。

●『スケートの日』 :  「日本スケート場協会」が1982(昭和57)年に制定。 この日、各地のスケート場で入場料が安くなります。 1861(文久元)年、函館に滞在していたイギリスの探検家「トーマス・ライト・ブラキストン」が、日本で初めてスケートをしたのが由来です。 しかし別に、1792(寛政4)年にロシアの使節「ラクスマン一行」が根室で一冬を過ごした時に、結氷した根室湾内で滑ったのが日本初であるとする説もあります。  

●『終い天神』 :   「納天神(おさめてんじん)」とも言われています。<>下記の◎毎月25日に祀られ行われる「天神の縁日」と重複しますが、この日は一年で最後の天神の祭典です。  
 
※特に「北野天満宮」の「終い天神」は、京都の一年の行事を締めくくる恒例神事として、毎年京阪神はもとより全国からの多数の参拝者が訪れます。 終日境内周辺に所狭しと露店が立ち並び、参拝者の人波が絶えません。 正月の「祝箸」や「お屠蘇」等が授与され、正月用の葉牡丹、荒巻鮭の露店や植木市も立ち、人出もふだんの倍となります。≫ 

●『北九州市デパート受難の日』 :  便宜的名称です。北九州市のJR小倉駅近辺の地元商業界では忌み嫌われている日です。

※同駅南口直ぐに建つ再開発ビルで、1993(平成5)年10月開店した「小倉そごう」がグループ経営破綻の影響で「黒崎」と共に2000(平成12)年閉店しました。 2002(平成14)年に、その跡地に移転した「小倉玉屋」も、同年のこの日に閉店しています。

その後、1年余り空き店舗状態となり、2004(平成16)年2月に大手の「伊勢丹」が子会社を作って開業しましましたが、売り上げ不振で2007(平成19)年のこの日に撤退する事を発表しました。 過去の撤退劇の反省を踏まえ、事実上傘下に収めた地場の「井筒屋」と競合していた状態を解消し、互いの利益を図る事を目的として、記念日が制定されました。 

☆彡毎週日曜日は、
●『即席ラーメンの記念日』 : 「日本即席食品工業協会」が1982(昭和57)年10月に制定。

●『パスタの日』 : 「全日本マカロニ協会」が制定。 同協会は、2002(平成14)年2月に「日本パスタ協会」に改称しています。

☆彡毎月25日は、

●『プリンの日』  :オハヨー乳業株式会社が制定。 プリンの人気商品が多いことから制定したもので、日付は25を「プリンを食べると思わずニッコリ」の「ニッコリ」と読む語呂合わせから毎月25日とした。  牛乳や加工乳、乳飲料、ヨーグルトなどの乳製品メーカーで、岡山県岡山市に本社を置く乳性食品の製造会社が制定。
この会社では、「焼きプリン」・「とろけるくちどけクリームチーズプリン」・「牛乳屋さんが作ったなめらかカスタードプリン」等プリンの人気商品を多く製造販売しています。 日付は、「プリンを食べると思わずニッコリ」という事で25が「ニッ(2)コ(5)リ」と読める語呂合せです。

●『天神の縁日』 :  「菅原道真」公の命日に因んだ、天満宮の縁日です。
神社シリーズ【太宰府天満宮】 参拝 福岡神社 神道の心を伝える 道真公が生まれたのが6月25日、太宰府に左遷されたのが1月25日、命日が2月25日であった事から、この日に「天神講(天神祭)」と称して祀り、江戸時代には「寺子屋」や「子供組」等でも行われました。 一年の最初の1月25日を「初天神」と言い、最後の12月25日を「終い天神」と言います。

天神は文字どおり天の神、「天神(あまつかみ)」の事で「天変地異」を支配する神とされ、「雷電鳴動」はその神威であると考えられていました。 「北野天満宮」、「太宰府天満宮」、「大阪天満宮」、「防府天満宮」、「谷保天満宮」等が有名です。 ※右大臣であった「菅原道真」の才能を妬む左大臣「藤原時平」が、「醍醐天皇」に道真は逆臣であると何度も讒言(ざんげん)し、天皇もそう思い込む様になった結果、道真公は旧暦901(延喜元)年、大宰権帥に左遷され、九州大宰府で没しました。
その後間もなく京都で雷電、天変地異がしきりに起こり、当事人々は非業の死を遂げた人の怨霊は天に響いて雷電を起こすと信じていました。 930(延長8)年、平安京の清涼殿に落ちた落雷で、大納言「藤原清貴」が死亡した為、この落雷・天変地異は、政治的な策略で左遷され亡くなった道真公の崇りであると噂になり、「醍醐天皇」は恐怖のあまり寝込んだとされます。 その噂から道真公の名誉は回復し、それ以来、天神が菅原道真の代名詞となり、やがて道真公を「火雷天神」とする信仰が起こりました。 また、道真公が生前すぐれた学者であった事から、天神はいつしか「文道の大祖」としても祀られる様になりました。

☆彡12月25日の『誕生花』:
ポインセチア(赤)  花言葉は祝福 私の心は燃えている
ヒイラギ(柊)  花言葉は「清廉」先見、用心、歓迎、機智
バラ(赤)  花言葉は愛、無邪気、爽やか、幸福、美
ソヨゴ(冬青)  花言葉は先見の明
クリスマスホーリー・Christmas Holly 花言葉は「将来の見通し」 です。

※おまけの付録 ●フィギュアスケートの起源と歴史 日本で初めてフィギュアスケートが行われたのは「仙台の五色沼」と言われています。この五色沼は震災で崩落した石垣を持つ伊達藩の城、仙台城を巡る堀の一部でした。今でも土塁や石垣の一部が、沼のほとりにそのまま残っています。

明治20年代に五色沼で外国人がスケートを始め、明治30~40年代には地元の子どもたちや旧制の二高生(現在の東北大)の生徒らがフィギュアスケートを教わったと記録されています。また、昭和6年には第二回全日本フィギュアスケート選手権も開催された、由緒正しきリンクです。


残念ながら、今では凍結することも少なく、仮に凍結しても人が乗れる厚さの氷になることはありません。昔は近隣の子どもたちのスケート遊びのメッカでしたが、それも昭和40年代までだったそうです。 数人の年配の方々から 仙台城址の隅櫓下の坂でスキーをし、五色沼でスケートをして遊んでいたと聞いています。 かつては仙台近郊で育った荒川静香さんが金メダルを取り、仙台出身の羽生結弦選手もともに金メダルを取りました。



●歴史 1877年(明治10年)、札幌農学校のアメリカ人教師ウィリアム・ブルックスがスケート用具を日本に持ち込んだことを以って、日本にスケートが伝わったとされる。しかし、当時はまだ外国人の娯楽にすぎなかった。 1897年(明治30年)頃、米国人のデブィソンが仙台城の堀である五色沼で子供達にフィギュアスケートを教えた。これを日本のフィギュアスケート発祥とする説もある。 1909年(明治42年)頃には、(旧制)第二高等学校の生徒が、ドイツ語教師ウィルヘルにフィギュアスケートの基本を習い、彼らの後輩を含めて各地で普及に努め、日本スケート界の功労者といわれた。

1914年(大正3年)に河久保子朗がアメリカ人のジョージ・ブラウンの著書(A handbook of Figure Skating)を翻訳出版し、2年後の1916年(大正5年)にはさらに内容を充実させた「氷滑」を出版したことでフィギュアスケートが広く知れ渡るようになり、愛好家が急増した。 1920年(大正9年)、河久保は仙台・東京・諏訪・関西の有志とともに、日本初のスケート統括団体である「日本スケート会」を設立した。1922年(大正11年)には長野県で第1回全日本競技会を開催し、1925年には国際スケート連盟に加盟した。

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